作詞家【安井かずみ】ってどんな人?「川口アパートメント」に住み「キャンティ」で食事する最先端な女性!




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みなさん「安井かずみ」という人をご存知ですか? 

日本の女性作詞家として有名で、またライフスタイルもその当時の最先端だったので、たくさんの人々に憧れる対象となりました。

今回は、そんな「安井かずみ」さんにまつわる伝説を紹介したいとおもいます。

 

安井かずみ 経歴

安井かずみさんは、1939年、神奈川県横浜市生まれ。幼少の頃から敬虔なキリスト教徒でした。

フェリス女学院高等学校・文化学院油絵科に入学し、女流画家を目指していました。

転機は英語とフランス語が堪能だったので在学中に訳詩のアルバイトをしたことです。これをきっかけに訳詩家、作詞家になります。

 

安井かずみ伝説 訳詩家としての顔 誰でも知ってるあの歌も訳したの?

作詞家の前に、語学が堪能なのを生かして訳詩家として詩の世界に入った「安井かずみ」さん。

彼女の一番有名は訳詩はなんといっても「ドナドナ」です。

みなさん知ってますよね。
牧場から市場へ売られていく子牛を歌った、なんとも哀しい気分になってしまうこの歌。

ドナ ドナ ドーナドーナー

今でもネットスラングや友達同士の会話でも使われていますよね。

原曲は中東欧ユダヤ文化の歌でしたが、ボブ・ディランの恋人でもあったフォークの女王ジョーン・バエズが1961年に歌ったことで大ヒットしました。

日本でも1965年にザ・ピーナッツがシングルのB面で、また1966年に岸洋子さんがNHK「みんなのうた」で歌ったことがきっかけで、日本中の人がこの歌を知りました。

その日本語訳詩が「安井かずみ」さんなんです!

すごい!

他にも、アダモの「雪が降る」、梓みちよ「ヘイ・ポーラ」などの大ヒット作の訳詩もしています。

 

安井かずみ伝説 作詞家での偉業 

その後、日本の歌謡曲に数々の名曲の作詞をしてきた安井かずみさん。

あまりにも多作すぎるので、代表的なものを10曲ご紹介します。
もうこのラインナップだけでも十分な偉業です!

郷ひろみ 「よろしく哀愁」

郷ひろみのよろしく哀愁

1974年テレビドラマ「ちょっとしあわせ」の主題歌として発売された、郷ひろみ10枚目のシングル。

作曲は筒美京平さん。彼の代表曲の一つにして、超名曲。

「会えない時間が 愛育てるのさ」という安井かずみの印象的なサビのフレーズが最高です!

小柳ルミ子 「わたしの城下町」

小柳ルミ子のわたしの城下町

若い人たちには、サッカーにやたらと詳しい人という認識かもしれませんが、当時は清純派アイドルだった小柳ルミ子さんのデビュー曲にして、160万枚という大ヒットを記録した名曲。

作曲はロカビリーミュージシャンであり、数々の名曲を作り出した平尾昌晃さん。

海外的な香り漂う、安井かずみと知り合いだった平尾昌晃は、なにげない会話をしているときに「あっ、でもやっぱりこの人も日本人なんだな~」とおもう点があり、この古来日本らしい曲の作詞を依頼しました。

「格子戸を くぐり抜け 見あげる夕焼けの空に だれが歌うのか子守唄」
という冒頭の入りの歌詞がなんともいいですよね!

浅田美代子「赤い風船」

浅田美代子の赤い風船

音符で表すことが出来ない、微妙な音階を歌いこなせる唯一の女性、浅田美代子さん(笑)

超人気ドラマ「時間ですよ」のお手伝い役でデビューし、「赤い風船」もドラマ内で歌われ大ヒットしました。

フォークの神様・吉田拓郎さんとの結婚も世間を驚かせましたが、のちに離婚してしまいました。

現代の童謡をコンセプトに作られたこの曲の歌詞は
「足ながおじさん」ぽい哀しさと希望が共存していますね。

キャンディーズ「危ない土曜日」

キャンディーズ

キャンディーズの3枚目のシングル曲。

ホーンセクションが鳴り響くホットなナンバーの作曲者は、
トップギャランのリーダーでもあった森田公一さん。

キャッチーな決めの歌詞「ぐるぐる危ない土曜日~」の「ぐるぐる」が強烈に印象に残りますね!

和田アキ子 「古い日記」

和田アキ子の古い日記

「あの頃は~」と言えば「ハッ!」とレスポンスするのがカラオケでもお決まりですよね。
(原曲ではこの部分では「ハッ!」とは歌ってないですけどね・・・・)

この誰もが知っている歌詞も、安井かずみさんです。

若い恋人同士の曲ですが、70年代らしい詩が最高ですね!

沢田研二 「危険なふたり」

沢田研二の危険なふたり

沢田研二6枚目のシングル曲。

「今日まで ふたりは 恋という名の旅をしていた」という出だしの歌詞もおしゃれですね。

作曲は、ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さん。一発で興奮状態になってしまう、印象的なギターフレーズは山下達郎さんの曲でもお馴染みの松木恒秀が演奏しているらしいです!

安井かずみは、ジュリーの熱烈なファンでもありました。

竹内まりや 「不思議なピーチパイ」

竹内まりやの不思議なピーチパイ

資生堂1980年のCMソングで、竹内まりや4枚目のシングル曲。

作曲は1977年に結婚した加藤和彦さん。

「恋ははじめてじゃないけれど 恋はその度ちがうわたしを見せてくれる」
という歌詞がとても印象的です。

安井さん自身も加藤和彦のポップな曲に、これまでの70年代の歌詞とは違う、新たな魅力が出てきていますね。

また「不思議なピーチパイ」という一風変わったタイトルは資生堂のキャンペーンキャッチコピーで、土屋耕一さんと糸井重里さんが考案しました。

飯島真理 「マクロス 愛・おぼえていますか」

飯島真理の愛・おぼえていますか

今でもシリーズものが製作される、大人気アニメ「超時空要塞マクロス」。
1984年に公開された劇場版の主題歌です。

アニメ史上に残る大名曲も、安井かずみ・加藤和彦夫妻の作品なんです!

歌唱は、リン・ミンメイの声も担当した、シンガーソングライターの飯島真理さん。

もう最高なのですが、飯島真理さんというとマクロスのイメージが強すぎるので、
他の曲ももっとたくさんの人に知ってほしいというおもいで過去に記事にしました。

関連記事:【飯島真理】は「マクロス」の「リン・ミンメイ」だけではない! 80年代を彩る傑作アルバムと彼女をめぐるビッグアーティストたち!

岡崎友紀 キタキマユなど 「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」

ドゥーユーリメンバーミー

元々は岡崎友紀さんが、80年にYUKI名義で発表した曲なのですが、キャッチーな曲調と、昔の恋人にあてた歌詞がせつなくて数々の人がカバーする名曲です。

わりと最近ですと、「カバチタレ」というドラマでキタキマユさんがカバーして、リバイバルヒットしました。
それでももう20年前ですが・・・。また誰かにカバーして受け継いで欲しい!

そして上記の2曲に続き、こちらも安井・加藤夫婦の作品でして、もう好きすぎて記事にしたことがありますのでぜひ読んでみて下さいね。

関連記事:【岡崎友紀 YUKI】の【ドゥー・ユー・リメンバー・ミー】はなぜ歌い継がれるのか?『加藤和彦』と『ロネッツ』と『ビーチボーイズ』そして『安井かずみ』と『超時空要塞マクロス』につながる Do You Remenber Me?

チェルシーのCM曲

チェルシーの歌

最後は、これも安井かずみさんの作品なんですよ!という曲で締めましょう。

1971年に発売された明治のキャンディー「チェルシー」

みなさんこのCMの曲ご存知ですよね?
「あなたにもわけてあげたい ほらチェルシー もうひとつチェルシー」

作曲は小林亜星さん。今だにいろいろなミュージシャンに歌い継がれる日本CM界の名曲も、
安井かずみさんの仕事でした。

 

どうですか、本当に数々の名曲の作詞を手掛けていますね。
これは安井かずみさんの作詞世界のほんの一部ですので、これを機会にいろいろ聞いてみて下さいね。

そして、彼女は作詞家以外にも、その当時の最先端を行くライフ生活から人々の憧れの的であり、クリエイター達からはミューズ(女神)として崇められていました。

安井かずみは仲間うちからは、あだ名の「ZUZU」(ズズ)と呼ばれていました。

 

安井かずみ伝説 ~住居~ 「川口アパートメント」

海外旅行がまだ一般の人々には夢だった時代に、安井かずみはヨーロッパの諸国を旅してまわりました。
このことが後に、日本人離れした作詞活動に役立ちました。

1967年にはローマで結婚しますが、数年後には離婚し、パリで生活した後の71年に日本に帰国します。

そして、親友だった加賀まり子が住んでいたことがきっかけで当時のデラックスマンションで、今でもクラシックマンションとして憧れる人が後をたたない「川口アパートメント」に住むことになります。

二人の交友から夜な夜な芸能人や芸術家が集まる、
「たまり場・サロン」のような役わりを果たした「川口アパートメント」。

詳しくは記事にしていますので、ぜひ読んでみて下さいね。

関連記事:【川口アパートメント】芸能人もたくさん住んでいた当時の最先端【デラックスマンション】【ヴィンテージマンション】

 

安井かずみ伝説 ~食事~ イタリアンレストラン「キャンティ」

日本で始めてというぐらい珍らしかった本格イタリアンレストラン。
今でも六本木のはずれ麻布台3丁目で営業しています。

各界の文化人が集まり、サロンのような役割もはたしていました。名物のスパゲッティバジリコが有名。

数々の著名人が来店しているのですが、常連組には、安井かずみ・加賀まり子・コシノジュンコ・かまやつひろしなどがいました。

店主の妻・川添梶子(あだ名は「タンタン」)は衣装デザイナーだったこともあり、イヴ・サン=ローラン、ピエール・カルダンなども訪れました。

タンタンは安井かずみの憧れの人でもありました。

安井かずみ伝説 ~車・ファッション~  ロータス・エラン

 

ロータス・エラン

フランス・パリに住み、ヨーロッパ諸国を旅した安井かずみは、当時の日本人とはかけ離れた抜群のセンスを持ち合わせていました。

服装もおしゃれで、若い頃は真っ赤な口紅をつけていました。

六本木などにも白のロータス・エランという車で乗りつけていました。
今でも熱狂的なファンが多い、ビンテージカーです。

当時の日本で、女性で外車のオープンカーを運転するなんて、本当に珍しくかっこよかったでしょうね。

 

安井かずみ伝説 ~恋愛~ 加藤和彦と理想のカップル

加藤和彦

「ザ・フォーククルセダーズ」「サディスティック・ミカ・バンド」などを経て、ソロでの活動が中心になった加藤和彦。

安井かずみは加藤和彦と1977年に再婚します。ちなみに加藤和彦も再婚でした。
新婚時代は川口アパートメントに住んでいました。

数々の名曲をつくりだし、ファッション雑誌から抜け出てきたような二人には、羨望の眼差しが向けられました。

人々からは理想のカップルとおもわれ、また二人はいつも一緒でしたが、結婚生活は常に順風満帆とは行かなかったようです。

独占欲の強い安井かずみさんは、ときどき加藤さんに強くあたったりすることもあったようです。
加藤さんは受けとめ続けましたが、つらくなり心が離れそうなときもあったと証言する人もいます。

やはり強烈な個性を持った二人だったので、難しいところもあったのでしょう。

しかしそんな二人にお別れのときが近づいていました。

安井かずみ伝説 ~病魔~ 若すぎた死

肺がんによる余命宣告から1年後の、1994年に55歳という若さでお亡くなりになってしまいます。

加藤和彦は、病院に住み込みで看病をし続けて、その献身的な様子は当時の主治医も驚いたと証言しています。

絶筆は「金色のダンスシューズが散らばって、私は人形のよう」

最後まで詩人でした。

沢田研二はその年のツアータイトルを「ZUZU」にし、たくさんの仲間たちがその早すぎる死に悲しみました。

加藤和彦は、安井の死の翌年に再々婚し、のちに離婚。2009年に自らの命を絶ちました。63歳でした。

安井かずみさんの作詞は、今も多くの人々の心に、何かをもたらし続けています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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現役古本屋店員です。40代中年。映画・漫画・アニメ・歌舞伎・落語・小説・音楽全般などが好きです。国内・国際政治や出来事を勉強しつつ、それに関連するものを紹介できたらと思っています。宅建資格挑戦中。最近父になりました。