【岩谷時子】とは誰?日本を代表する偉大な女性訳詞家・作詞家の経歴をご紹介!




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今回は、日本の音楽の訳詞・作詞の世界で偉大な仕事をたくさん残してきた「岩谷時子」さんについてご紹介します。

岩谷時子

それでは基本情報からさっそく行ってみましょう!

 

岩谷時子さんの経歴とは?

 

幼少から学生時代

岩谷時子さんは、1916年(大正5年)日本統治時代の京城府(現在の韓国ソウル特別市)生まれ。

おじいさんがこの地区の初代長官だったので京城府で生まれましたが、5歳の頃に兵庫県西宮市に移住しています。

西宮で学生生活を送り、神戸女学院大学部に進学。

 

宝塚歌劇団出版部に就職

1938年に卒業後に宝塚歌劇団出版部に就職し、1918年から現在も続く宝塚歌劇団の機関誌「歌劇」の編集長を務めたこともあります。

宝塚の機関誌では一番の歴史がある「歌劇」

 

「歌劇」初代編集長は宝塚歌劇団創設者の小林一三その人!

 

この小林一三さんを知らない人でも「えっ!」と驚く豆知識としては、暑苦しい元テニスプレーヤーの松岡修造のひいおじいちゃんです。修造さんはああ見えて華麗なる一族の一員なんですよ。

 

ある少女との出会い

少し脱線しましたが、ここで岩谷時子さんのその後の人生を大きく変える運命の出会いが待っていました。

1939年に初舞台を踏んだ当時15歳の新人タカラジェンヌが、たまたま宝塚出版部に遊びにきたのです。

そのとき彼女が岩谷に自分ののサインを一緒に考えて欲しいと頼んだとことから知り合いになり2人は意気投合したと言われています。

その新人こそ、のちの大歌手として成功する「越路吹雪」さんでした。

そして越路さんと岩谷さんは最高のコンビとなり、越路吹雪の歌手としての成功の裏には岩谷さんが大きく関与していました。

 

越路吹雪のマネージャー

越路さんは、当時から清楚なイメージの宝塚では型破りな人物だったそうで、岩谷さんは何かと相談役として越路さんとの絆を深めていきました。

そして劇団よりも歌手になりたいという気持ちを聞いた岩谷さんは、1951年に越路さんとともに宝塚を退職して東宝文芸部に所属し越路吹雪の付き人兼マネージャーとなります。

越路さんの才能に惚れ込んでしまったんですね!それにしても仕事も辞めてしまうとはすごい決断です。

 

訳詞家としての開花

ソロ歌手となった翌年の1952年に越路吹雪さんはシャンソンショー「巴里の唄」に代役で急遽出演することになりました。

以前にフランス政府受け入れの留学生としてパリに留学していた経験のある、黛敏郎から「素敵な曲があるから歌ってみたら」と譜面を渡されていました。

その曲こそのちの越路・岩谷コンビの代表作になる「愛の讃歌」でした。

曲は気に入ったものの、越路吹雪はあくまで日本語にこだわりました。期日が迫る中、岩谷時子は、越路の為に生まれて初めて外国語の曲を日本語に訳詞する作業を完成させました。

そしてシャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌として「愛の讃歌」は無事披露されました。

ここに日本の偉大なる訳詞家・作詞家「岩谷時子」が誕生しました!なんとも劇的なお話ですね。

 

岩谷時子さんの代表的な訳詞曲とは?

 

前記した通り「愛の讃歌」で訳詞家デビューした岩谷さんですが、他にも越路吹雪さんへたくさんの有名な訳詞をしています。有名な楽曲をご紹介します。また越路さん以外にも尾崎紀世彦さんなどに訳詩をしています。

「愛の讃歌」

1950年フランスの国民的シャンソン歌手エディット・ピアフの歌が原曲。

数々のカバーや、岩谷版以外の訳詞もある名曲だがやはり岩谷時子の訳詩が一番有名。

 

ラストダンスは私に

1960年アメリカのコーラス・グループ『ドリフターズ』の曲が原曲。

リードボーカルはソロ転身後の「スタンド・バイ・ミー」で有名な『ベン・E・キング』。

ちなみにこの曲は、『ザ・ビートルズ』のポール・マッカートニーが「ヘイ・ジュード」を作曲する際に参考にしたと言われている名曲です

岩谷訳詞は、原曲の男性目線の詩から越路のために女性目線の詩に変えています。

 

ろくでなし

イタリア生まれのベルギーの歌手『アダモ』の1965年の「Mauvais Garçon」が原曲。

原題を直訳すると「不良少年」という意味らしいのですが、それを「ろくでなし」とつけたセンスの素晴しさ。

ちなみに歌劇団時代の越路さんも「不良少女」とあだ名をつけられていたそうなので、気持ちがよくわかったのかもしれません。

 

サン・トワ・マミー

イタリア生まれのベルギーの歌手『アダモ』の1962年の「Sans toi ma mie」が原曲。

こちらの曲も男性が女性に失恋したときの心情を歌ったものですが、女性目線に変えられています。

「さみしくて 目の前が暗くなる サン・トワ・マミー」というシンプルな言葉が胸に刺さります。

たくさんの人がカバーしていますが、個人的にはフジテレビの深夜番組黄金期の「やっぱり猫が好き」のエンディングテーマに使われてRCサクセションバージョンは特に有名で一番好き(歌詞は一部変更あり)。

 

岩谷時子さんの代表的な作詞曲とは?

 

越路さんの為に訳詞をしたことから才能が開花かれ、オリジナル曲に作詞をすることも始めた岩谷さんは数々の名曲の作詞を担当しました。

代表的なものをご紹介します。

 

ふりむかないで ザ・ピーナッツ

1962年、ザ・ピーナッツにとってのオリジナルでの初ヒット曲であり、日本のポップス曲最初期の歴史的楽曲。

作曲はザ・ピーナッツの曲をたんさん手掛けた(作曲・編曲)育ての親「宮川泰」

「いまくつ下なおしているのよ あなたの大好きな黒いくつ下」というちょっとセクシーで意味深な歌詞は今聞いても衝撃的。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」で劇中歌として採用されたことで若い人にもなじみのある曲かもしれません。

 

恋のバカンス ザ・ピーナッツ

1963年、「ふりむかないで」に続きオリジナル曲でのヒットシングル。

「ため息のでるような あなたの口づけに」という冒頭の歌詞もインパクトがあり、

「裸で恋をしよう 人魚のように」では完全にやられました。すごい歌詞です。

 

お嫁においで 加山雄三

1966年の加山雄三作曲のヒット曲。

同年にはゴジラ映画で有名な本多猪四郎監督により同タイトルの映画もつくられました。

「舟が見えたなら ぬれた身体で 駈けてこい」など女性も今までと違い奥ゆかしさより自身の欲を全面的に出してもいいんだという時代の空気が伝わってきます。

加山雄三(「弾厚作」名義)さんとは「旅人よ」「君といつまでも」「夜空の星」などの大ヒット曲を含め140曲の作品の作詞を担当しました。

全140曲すべて収録のCDBOX!

 

恋の季節 ピンキーとキラーズ

1968年に発売され、累計売り上げ270万枚を記録した大ヒット曲。

作曲・編曲はいずみたく。

第10回日本レコード大賞新人賞、紅白にも初出場しその年の代表する曲となり、今でもカバーされる名曲です。

ボーカルのピンキーこと今陽子は、岩谷時子を自分の音楽の母と慕いました。

前記した「ふりむかないで」同様「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」劇中歌として採用されました。庵野監督は岩谷時子ファンなのかもしれません。

 

男の子女の子 郷ひろみ

1972年発売の郷ひろみのデビューシングル。作曲は筒美京平。

オリコン最高位8位と鮮烈なデビューを果たしましたが、ここでも岩谷時子の作詞のインパクトが功を奏しています。

第14回日本レコード大賞を新人賞を受賞し、1973年には同曲で第24回NHK紅白歌合戦へ初出場も果たしました。

その後も作曲筒美京平とのコンビで「小さな体験」「愛への出発」「裸のビーナス」「モナリザの秘密」「花とみつばち」など初期の郷ひろみのヒット楽曲を多く手がけスターダムに押し上げました。

しかし10枚目のシングルでは作詞を次世代以上に年齢が下の天才女性作詞家安井かずみに変更し「よろしく哀愁」で初のオリコンNo.1を獲得したのもなんだか運命を感じてしまいます。

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サインはV 麻里圭子(69年版)坂口良子(73年版)

漫画原作の元祖スポ根TVドラマ。

1969年〜1970年に放送され、1973年〜1974年には続編も放送された。

主題歌「サインはV」の作詞は岩谷時子が担当し、最高視聴率39.3%を叩き出し日本中で大ブームを起こしました。

「V・I・C・T・O・R・Y サインはV!」という冒頭から盛り上がり必死の曲。

 

ふしぎなメルモ

1971年〜1972年まで放送されたTVアニメ。

手塚治虫の漫画が原作で連載当初は「ママァちゃん」というタイトルでしたが、元々アニメとして企画された作品。

主題歌の「ふしぎなメルモ」の作詞を岩谷時子、作曲は宇野誠一郎が担当しました。

「メルモちゃん メルモちゃん メルモちゃんが持ってる 赤いキャンディ青いキャンディ知ってるかい♪」

アニメ史上に燦然と輝く名曲ですね。

 

岩谷時子さん 名作ミュージカルの訳詞も手掛ける

 

「王様と私」「ウエストサイド物語」「ジーザス・クライスト=スーパースター」「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「キス・ミー・ケイト」などの数々の名作ミュージカルの日本版公演時に歌詞の訳詞を担当しています。

ミュージカルのキモはなんといっても、歌。この歌詞の部分がグッと心に突き刺さらないとどれだけ演技が良くても意味がありません。成功の鍵には岩谷時子の訳詞が支えていました。

 

本田美奈子.さんとの絆

 

1992年ミュージカル「ミス・サイゴン」にて本田美奈子さんがヒロイン役のキムに選ばれました。

当時アイドル歌手というイメージがまだ残ってい本田さんに、大舞台のミュージカルの主人公が演じられるのかという気持ちが大部分の人々の正直なところでしたが、蓋を開けてみると素晴しい演技と歌声に賞賛が送られました。

ミュージカルの訳詞を担当した岩谷時子も越路吹雪の再来と彼女を大絶賛し、その後も親交を深めていきました。

2003年の「AVE MARIA」ではアメリカの愛唱歌「アメイジング・グレイス」を本田さんの為に書き下ろしで訳詞し、若くして急性骨髄性白血病で亡くなってしまった本田美奈子.さんの代表曲となりました。

奇しくも本田さんが入院していた病院に、当時足を負傷した岩谷さんも入院することになり、岩谷を励ます為にボイスレコーダーで歌を届けたというエピソードには涙が流れます。

越路吹雪、本田美奈子.という自分が惚れこんだ才能ある2人を先に見送ることになってしまった、岩谷時子の気持ちを考えると辛いです。

2013年10月25日に肺炎のために東京都内の病院において死去。日本の音楽界に素晴しい遺産を残し、97歳という長寿を全うされました。

いかがでしたでしょうか?正直まだまだ岩谷さんの仕事で素晴しいものがたくさんあるのですが、このへんでこの記事は終わりたいとおもいます。

みなさんもさらに調べて岩谷時子の世界を知って頂けると幸いです。

では最後まで読んで頂きありがとうございました。

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元古本屋店員。40代中年。映画・漫画・アニメ・歌舞伎・落語・小説・音楽全般などが好きです。国内・国際政治や出来事を勉強しつつ、それに関連するものを紹介できたらと思っています。宅建資格挑戦中。最近父になりました。