たくさんのサイトからのご訪問ありがとうございます!

あなたは、中野ブロードウェイという場所に行ったことはありますか?
中野ブロードウェイは、東京・中央線もしくは総武線、東西線の中野駅北口より徒歩数分の場所にあるレトロなビルになります。
よくテレビでも紹介されているので、漫画・アニメ・おもちゃ・レトログッズなどが好きなら人なら1度は行ってみたい秋葉原と並ぶオタクやサブカルチャーの聖地です。
また最近では高級腕時計を扱ったお店も多くなっていますので、時計好きの方にもおすすめのお出かけスポットです。↓
【関連記事】:【中野ブロードウェイ】は【腕時計屋】の聖地へ 都内激戦区のお店を徹底案内!
地下1階から4階までたくさんの店舗が立ち並んでいて、一般の方も買い物できるスペースになります。
遠目から見ればわかりますが、このビルさらに高さがあるんですよね。そうなんです、5階から上は住居スペースになっているんですね。
当時は住居と商業スペースが合体している集合住宅は珍しく、豪華な高級マンションでした。
その為に芸能人も多く住んでいたことで有名です。
当時は屋上にはプールがついていましたが、多分今は使用されていないとおもいます。
【関連記事】:川口アパートメント芸能人もたくさん住んでいた当時の最先端ヴィンテージマンション
築年数の割には、利便性と話題性で現在でも家賃は高いですが、空室が出るとすぐに埋まってしまうほど人気があります。
前置きが長くなりましたが、さっそく今まで住んでいた有名人をご紹介したいとおもいます!
沢田研二

1967年にGS(グループサウンズ)を代表するバンド「ザ・タイガース」でデビューして人気を博します。
ソロになってからも時代を象徴する存在だったジュリーこと沢田研二さん。
ブロードウェイに住んでいた有名人といえば、一番に名前が上がる人なのでご存知の方も多いかもしれません。
ザ・ピーナッツの伊藤エミさんと結婚する(のちに離婚・現在の妻は田中裕子さん)1975年頃まで住んでいました。
岸部一徳

沢田研二さんと同じく「ザ・タイガース」でデビュー。
ザ・タイガース時代の愛称はサリーでベースを担当していた岸部一徳さん。
人気絶頂の71年に、ザ・タイガースは解散。
その後ジュリーや、ショーケンこと萩原健一さんらとPYG(ピッグ)を結成。
PYG解散後は井上堯之バンドで活躍しましたが、75年には音楽を続けることに限界を感じてバンドを脱退します。
その頃上記したように75年にジュリーが結婚で中野ブロードウェイを退去することになり、岸部さんがジュリーの部屋にそのまま入居することになりました。
俳優業の仕事もほとんどなく金銭的にもかなり厳しい岸部さんに変わり、当初はジュリーが家賃を払っていたそうです!
ジュリーさすが仲間思いの男前ですね!
志村けん

2020年に惜しくもお亡くなりになってしまった、国民的人気お笑い芸人志村けんさん。
ザ・ドリフターズの一員として人気爆発した彼も中野ブロードウェイに一時期住んでいました。
正確な年代はわからないのですが、志村けんさんと沢田研二さんはお互いをリスペクトし合う仲だったので、もしかしたら中野ブロードウェイも沢田さんに紹介されたのかもしれません。
2人の友情は固く、志村さんが出演予定だった山田洋次監督の最新作『キネマの神様』の代役を務めることになりました。

ジュリーまたまた男前!
青島幸男

「シャボン玉ホリデー」等の人気番組の放送作家。
「スーダラ節」「明日があるさ」などヒット曲の作詞家。
「意地悪ばあさん」等の俳優業。
最後には東京都知事にまでなってしまった、元祖マルチタレントの青島幸男さんも中野ブロードウェイに住んでいました。
ジュリーとは隣同士の部屋だったそうで、当時は玄関先で時々顔を合わせていたそうです。
昭和だな〜!
渡辺浩弐

1986年公開の今でもファミコン世代には深く胸に刻まれた(ちょっと大袈裟)映画「GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦」の構成を担当したことでも有名な渡辺浩弐さん。
テレビ東京の「大竹まことのただいま!PCランド」を毎週見ていた自分にとってはゲーム解説してくれるお兄さん的存在ですが、今では小説家・執筆業でも有名です。
渡辺さんは中野ブロードウェイに住んでいて、4階には開かずのカフェ兼事務所もお持ちです。
中村あゆみ

1985年「翼の折れたエンジェル」の大ヒットが有名な中村あゆみさん。
この曲を作詞・作曲したプロデューサーでもある高橋研さんとは、当時は東中野のアパートに住んでいて中野ブロードウェイ近くの飲食店でたまたま知り合いそれがデビューのきっかけになりました。
情報は少ないのですが、中野ブロードウェイに一時住んでいたという話です。
髙橋ツトム

「鉄腕ガール」「スカイハイ」などが代表作の漫画家・髙橋ツトム先生。
こちらも情報が少ないのですが、「地雷震」連載中の頃、中野ブロードウェイに住んでいたという話です。
中野ブロードウェイの歴史を簡単に解説!
中野ブロードウェイは1966年(昭和41年)に開業しました。
ショッピングセンターと住居が一体となった複合施設として話題を集めました。
店舗部分は、当時は高級マンションの住人に合わせて、婦人服・貴金属を中心とした小売店。
また生活・趣味品として電気屋・おもちゃ屋・本屋・寝具店・レコード店・美容室。
あとは喫茶店・レストランなどの飲食店、不動産屋と内装業者、4階に歯医者などの医療が入っていました。
1980年代になるとあまり人気もなく、私も中野ブロードウェイに行く用事といえば「MGTS商店」などモデルガン専門店を数件廻ったあとに切手・古銭・映画チラシの店にはチラッと覗く程度で休憩として立ち寄るぐらいでした。
転機はもう誰でも知っているであろう、漫画家の古川益三さんが漫画専門古本屋「まんだらけ」を開業したことにはじまります。
当時は2坪をさらに区切った小さいスペースから、ありとあらゆるサブカルチャーの品物を扱い店舗を拡大していきます。
さらには分野の違う同業者も引き込み(大予言・トリオ・タコシェ等)集客が増えると、フジヤエービックもCD・DVD店を増やしていき週末などは大変な賑わいとなります。
トイショップ、レンタルショーケース、ダーツ、ヨーヨーなど新たなオーナーが店を開店、いろいろなものが混在し中野ブロードウェイは一気におたく・サブカルチャービルへと変貌。
テレビ・雑誌などでもさかんに特集が組まれ、地方観光客・海外旅行客も訪れる東京を代表するスポットの1つとなりました。
近年は村上隆さんのカイカイキキや、ビンテージの腕時計屋が増えてきて、また雰囲気が少し変わってきています。
コロナでの集客の減少、ビルの老朽化などの問題もあり、この後の中野ブロードウェイの未来も気になるところです。
では最後まで読んでいただきありがとうございました。
【関連記事】:川口アパートメント芸能人もたくさん住んでいた当時の最先端ヴィンテージマンション

ブログ生活の始め方に興味のあるあなたへ→「【副業】ブログの始め方。正直儲かるの?私、初心者ブロガーはじめました。」
お得な情報を知りたいあなたへ→「【楽天経済圏】とは何?楽天サービスをとことん利用でポイント大量ゲットで大幅節約に成功!」」
人気オススメ記事5選:
・【車検】予約なら『楽天Car車検』が超絶おすすめ!2020年最新口コミ情報でポイント大量ゲット
・2019年【おすすめ】の本当に面白い【ラジオ番組】教えます!73番組紹介中【随時更新中】
・【無料漫画アプリ人気7選】病院の待ち時間が長い!空き時間や暇つぶしに最適で今すぐ読めちゃう
・【鬼滅の刃】鬼舞辻のモデルは『マイケル・ジャクソン』さらにその元ネタって何だか知ってる?
・【新世紀エヴァンゲリオン】の【ジェリコの壁】ってなんだろう?元ネタは古典的名作映画から?
(@byebyeamaryllis)